タイ(2002)

ミャンマー国境へ

Rico

昨日の2人からばっちりルート情報を仕入れ、朝別れを告げて出発。 ほんとはもっとココにゆっくりするつもりでいたが、意外ともう私には時間が残っていないことに気付き、重い荷物を持って出発。 2日くらいは滞在する予定で部屋中にめいっぱい洗濯物を干していたのがほとんど乾いておらず、水分を含んだ洗濯物はズシっと重くなってしまった。

まずはバスで、メーサーイ(MAE SAI)へ。
チェンライのバス乗り場(5番乗り場でした)から、25Bで1時間半。 250Bでイミグレーション手続きをし、ミャンマーの国境を超える。

わずか数十メートル先はミャンマーのタチレイ(Tachileik)の町。
橋を渡るとタバコやらいろんな物を抱えた売り子にしつこく声をかけられる。 ミャンマーは更にタイよりも物価が安いらしい。物乞いの子供達に心を痛める。 ずっとずっとついて来る。後ろから母親らしき人もついて来る きりがないので相手にはしないけれど。


町を歩いていると、大きな声や歓声が聞こえるので近付いてみると、 近所の人たちが集まってかけ事をしていた。どの絵柄になるかをかけ、さいころのような物を転がす。独特の歌のようなかけ声で。かなり盛り上がっていた。

昨日聞いたルートの予定ではこの後、ラオス国境のチェンセン、ゴールデントライアングルなどを回る予定だったのだけど、なんとなく疲れてしまったので、その足でチェンマイまで。 やはり荷物を持ったままはツライ。チェンライに戻ろうかと思ったら、チェンマイ行きのバスがいたので直行。 今週中にはバンコクに戻ってタイにいながら単身赴任して週末しかいない、いとこの御主人に挨拶をしたかった。

チェンマイに着いてからまたもや地球の歩き方に載っている宿を目指したが、乗ったソンテウのおじさんが道を知らなくて困った。 ぐるぐる回ったあげく、最初は20Bだと言っていたものを30Bと言い出し、「ぐるぐる回ったんだから」風なことをタイ語で言っていた。断固としてゆずらず20Bだけ払った。

しかし、そうまでして辿り着いた宿は満員。その周辺の宿も全部いっぱいだという。 はじめに行った宿では、従業員の人が見当たらず、「ここのスタッフですか?」と声をかけたのが、私の靴と同じ名前の彼。 しかし、はじめ私の英語はStaffがstuffに聞こえたようだった。英語って難しい。 彼が従業員の人を探してくれたり、宿探しを手伝ったりしてくれ、結局晩ご飯を一緒に食べにいった。私が辿り着いたのは350Bの所。 (101 Changmai-lampoon Rd.,T.WATKET,A.MUANG,CHANGMAI//TEL:053-302121)高い。 しかしこうもどこもいっぱいでは仕方がない。昨夜に引き続き、ほんのちょっとの贅沢。

彼自身も結局宿がなく、一番最初の宿の屋上に寝るとのこと。屋上なのに20B。 最初5Bで交渉したら「うちの毛布やマットを使うんでしょ。」と言われたらしい。 しかし、北部の夜は寒いはず。 私もたまには夜空を見上げながらの就寝も悪くはないのだが、寒いのは苦手。 彼は中国で英語の先生をしているらしい。 私の英語を誉めてくれるものの、なにせボキャブラリーが幼稚園レベルなものでかなり苦しかった。 楽しいひととき。
そして私は宿、彼は夜空の下へと帰っていった。 時間はまだ早かったので名残惜しいような素振りではあったが、お互いのメールアドレスを交換し、時間があえば明日、あさってにでも会おうということになった。

バス 25B
朝ご飯 40B
バス 95B
ソンテウ 20B
ソンテウ 5B
ソンテウ 5B
ゲストハウス 350B
夕御飯 忘れた

ABOUT ME
Rico
Rico
旅するWebディレクター
福岡県在住の旅するWebディレクター
主婦業・子育てもしながら、仕事もしながら、旅も暮らしの一部のようにしたい。
人生一度切り。いつか行こうの「いつか」は永遠に来ないかもしれないから。
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