タイ(2002)

列車の旅(チェンマイからバンコクへ)

Rico

どうやらこのゲストハウスは朝食付き。トーストと紅茶、スターフルーツをいただく。(食い逃げだったらどうしよう!) なんとなくのんびり滞在の気分でいたら、気づけば今日は金曜日。旅をしていると曜日感覚が全くない。もう私には時間がない。スコータイにでも寄って帰ろうと思い、電車や飛行機を調べてみたら全て満席。そんなー。

ということで、そのままバンコクへ14時間かけて帰ることにした。しかし寝台列車も満席。2等普通列車。
チェンマイでパトリックに夜バンコクに発つことにしたから、とメールをいれた。偶然チェンマイで会える事を願ったが会うことはなかった。

夜までの間、私はチェンマイの雑貨屋をはしごした。雑誌に載っていた店にも足を運んだけれど、雑誌の写真はかなりよく撮ってあり、実際はそこまで惹かれるお店ではなかった。無駄にゲートからゲートまで歩いてみたり、リバーサイドの雑貨屋へ行ってみたり、乗り物を一切使わずにひたすら歩いた。じりじりと日が痛い。

チェンマイの町でどこからか「花」が聴こえてきた。日本語で。しかし、日本語でありながらもチェンマイの町にとても馴染んでいた。どこか懐かしさを感じながら、「泣きなさ~い、笑いなさ~い」と私も一緒に口ずさみ、「やはりここは同じアジアなんだ」と改めて思った。

そして14時間の列車の旅に備えてマッサージを受けた。
そして、ターペー門から駅までソンテウにでも乗ろうと思っていたら、なんだか車の流れが違う。しまった、一方通行だ。仕方がないので、一方通行が終わるまでの約半分の距離を歩いた。なんとか捕まえたソンテウは、初めて前に乗せられた。タイ語で一生懸命話し掛けてくれるのだが、話しが通じずお互い笑うしかなかった。ほんとの所、なんとなくはおじさんの言っている事は分かっていた。「何人なのか。」ということと、「これから電車でどこへ行くのか」ということ。「イープン、ジャパン、ヤーパン、ニホン、ニッポ・・・・」と思い付く限りの「日本」っぽい言葉を並べてみたのだが、通じなかった。やっぱり笑うしかなかった。

列車は30分も遅れて出発。
そして私が乗り込んだ車両は、座席は真っ黒で、手をつくと手に汚れがついた。手前のおばちゃんが慣れた手付きでティッシュでシートの汚れをとり、窓を閉め、コテンと横になった。私もそうだ!とおばちゃんを見習い、トイレットペーパーで綺麗にしつつも、シートの固さがっくり。お尻痛くなりそー。

エアコンは寒いから必要ないのだが、窓が開きっぱなしなのが気になる。閉まらなそうな窓をじーっと眺めつつ、まあ、人が少ないから足も前に投げだせるから、ま、いっかと思っていた。

車掌さんの案内放送。あれ?なんか意外と近いなーと思ったら、私の横に拡声器を持った車掌さんが立っていた。アナログすぎて笑いが出た。しばらくすると3人がかりで切符の点検にドタドタとやってきた。そしたら笑って「2等はあっちだよー」と言われた。そう、私は3等列車に座っていたのだ。

移動してみると、なるほど車両は小奇麗で、壁も窓もシートも3等に比べてゴージャス。座席もリクライニングできるようになっていた。しかしながらこちらは3等と違って満席。旅行者ファランたちばかり。私はこの旅では全ての乗り物を網羅したくって、飛行機にもバスにも乗ったので、どうしても列車に乗りたかったのだ。
隣の男性と肩が触れる程せまい。これなら汚くても3等の方が楽なのかも、と思ったけれど、3等は少し安全面で心配があったのでこちらに留まることに。ココで、いつも海外旅行に持っていきながら使うことがなかった「ヨックネール(良く寝る!?)」というふざけた名前の空気枕が役にたった!なんて便利なんでしょう!


しかしながら、大抵の場合はそうなんだけど、欧米人とアジア人の体感温度というものはかなり違いがあると思われる。寒いっつーの窓閉めろ!と思いつつも、窓閉めてくれない?なーんて、2、3列前の人に言う勇気もなく我慢。私の真上にあった扇風機はスイッチの所の人が寝たのを見計らって勝手にパチリ。寒いんだってば。

そして私はバンコクへ。

電車 321B
荷物預け 10B
インターネット 30B
コーラ 10B
ソンテウ 10B
マッサージ 200B

ABOUT ME
Rico
Rico
旅するWebディレクター
福岡県在住の旅するWebディレクター
主婦業・子育てもしながら、仕事もしながら、旅も暮らしの一部のようにしたい。
人生一度切り。いつか行こうの「いつか」は永遠に来ないかもしれないから。
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