タイ(2002)

メンホーソンへ

Rico

メンホーソン(MAEHONGSON)の山の上で夕日が沈むのを待ちながら日記を書いている。 ベストプレイスを見つけ独り占めしていたら、テレビ局らしき人たちがやって来た。 私の後ろで夕日が沈むのを撮って行った。

今朝は危うく、チェンマイ行きのバスに乗ってしまう所だった。 バスの前に行き先表示を確認したつもりだったが、やはり人に確認すべきだと反省。 メンホーソン行きバスはガラガラ。
バスに乗っていた在タイ英国老婦人に、行き先と発車時刻を訪ねた。「もう発車の時間ですよね?」との問いかけに、老婦人は「ええ。でもタイはね、日本のようにはいかないのよ。」と笑ってゆっくり言った。

また普通バスに4時間揺られ、ここメンホーソンへ。今度は二日酔いではないので起きていた。

途中、周辺の民族の人たちが集まる市場に出くわす。色とりどりの綺麗な衣装がまとった地元の人たちが野菜などを買いに来ていた。
普通バスはほこりまみれにはなってしまうが、地元の人が利用するバスなので生活に触れることができる所がよい。たいてい長距離だと1等、2等のエアコンバスに乗ってしまうと乗客は旅行者のみとなる。寒いからエアコンなんていらない!と思っていたが、エアコンのだと窓とドアが閉じられる所が利点だ。普通バスはドアさえも開けっ放しで走る。

宿は首長族へのトレッキングを行っているというゲストハウス、JEAN’S HOUSE(Tel:053-611662)。彼女が仕入れた情報。 人数が集まれば集まる程安くつくという。しかし、イタリア人に声をかけてみると「興味ない」とあっさり断られシュン。


宿に荷物をおいてメンホーソンの町を探索。市場でまず腹ごしらえ。15Bで麺。まあまあ。
探索は別行動で。 彼女も同じように感じていたのか、私の気持ちが伝わったのか。別に嫌いな訳では決してないので、うまくつきあえば旅も楽しい。

夕方、夕日でも見ようと、寺院のある山に向かった。 この山はまたもや私に試練を与え、汗だくになった。424m程の山だが、情けなくもヒーヒーだった。しかし景色はよくミャンマーの山々と、メンホーソンの小さな町が見渡せる。

夕日が沈んで山を降りると、ちょうど彼女に出くわし、夕食へと行った。
そこに日本人男性2人とまた出くわした。先に出会った彼女の話だととっつきにくいと聞いていたが、私はそうは感じなかった。ここで初めて彼女の名前と職業を聞いた。そういえば、聞いていなかったっけ。 ビールを飲み、その後、私たちの宿へと遊びにくることになった。 彼女は乗り気ではないようではあった。
私は、せっかくメンホーソンという町で出会ったのだから、話しをするのは悪くはないとは思った。「どちらでもいい」と言ってしまえばそれまでだが、元々私の中にこれらに関する強い感情というのは持ち合わせてはいない。なすがまま。

宿に帰ってみるとホットシャワーと聞いていたのが、違ったので、私はシャワー付きの部屋を変わり、彼女の部屋は窓が壊れていたので、彼女が私の部屋に移った。 しかし、部屋を移ったものの、たいした量のホットシャワーは出ず、文句言おうにも気持ち温かい気もするので我慢した。

元の私の部屋を訪ねた2人。彼女は決してドアをあけることはなかった。あまり気がすすまない事は聞いていたので、諦めて帰るだろうと私も軽く考えていたら、オーナーが私の部屋に訪ねてきた。かなりしつこくうるさくノックしたらしく、隣の部屋の人から苦情が来たらしい。。。彼女がそこまで嫌がるのには理由があって、この日本人の子の一人がかなりしつこく「草」をすすめるからだ。吸うのは勝手だが強要はよくない。それでも部屋に遊びにきた彼らとはただ話しをしただけだった。
彼女を起こしに行こうと言うのは止めた。


1人は1年かけてアジアからヨーロッパまで抜けるそうで、同じ年。 そして1人は、偶然にも前の会社にバイク便で何度か来た事があるという人だった。 世間はせまい。2時間程度、話しをして彼らは帰っていった。 相手の連絡先は聞かなかったので、会うことはないのかもしれない。

ABOUT ME
Rico
Rico
旅するWebディレクター
福岡県在住の旅するWebディレクター
主婦業・子育てもしながら、仕事もしながら、旅も暮らしの一部のようにしたい。
人生一度切り。いつか行こうの「いつか」は永遠に来ないかもしれないから。
記事URLをコピーしました